中国人の戸籍には二種類あることをご存知だろうか。一つは農村戸籍、もう一つは都市戸籍と呼ばれている。
農村で生まれた人は前者に、都市部で生まれた人は後者に登録され、様々な住民サービスは本籍地でしか受
けられない。つまり、都市戸籍をもたぬ一家が都市の周辺で生活すると、子どもは学校に行けないし、病院に行
くととんでもない金額を要求される。つまり、農村で生まれた人は農業に従事して一生をその地で送りなさい、居
住の自由は国家がもっと豊かになるまで認めるわけにはいきません、ということだ。

 手元で一生懸命に計算したおおよその数値を並べる。中国の全人口が一三億人として、農村の人口が七億
三千万人、都市の人口が五億七千万人。中国のGDPは三兆二千万ドルで、ドイツを猛追する世界第四位であ
る。国家としては凄まじい伸びを誇る中国であるが、人口一人あたりではいまださほどの高水準とは言えない。
平均二五00ドルほどで、世界で百番目あたりになる。都市戸籍の人が年収四七五0ドル、農村戸籍の人が六
六〇ドルほど。農村戸籍の人は都市戸籍の人の七分の一しか収入がない。格差どころの話ではない。なんと
七万円!私は縁がないけれども、高級クラブなら一晩で消えてなくなる(そうです)。

 中国の大地は実は農業に適しておらず、一人あたりの耕作地は日本より狭小である。国内の農業生産だけ
では国民の腹を満たせない。中国政府が領土獲得に貪欲な所以である。農民は少しでも生活を楽にしたいと、
誰もが懸命にもがいている。農業に従事していては貧困から抜け出せない、と都市部に長期の出稼ぎにでる
人は一億人を超える。それでも問題は解決しない。

 本書はそうした切迫した問題に直面する農村戸籍の人々の話を三件、取りあげる。頑張ってもどう努力しても
うまくいかない。そのもどかしさを政府の政策の変遷と関連づけて叙述する。著者はNHKに入社してからアジア
をフィールドとし、長い時間を現地で費やし、取材を重ねてきた。今回はそれぞれ一五年ぶりの再会となるそうだ
が、実に丁寧に現状を見つめ、生活実感を復元し、課題を浮きぼりにする。

 チベット問題や食品毒物事件が相次ぎ、「だから中国は・・」式の紋切り型の意見に触れる機会は多い。だが
私たちも、外国からひと括りに論評されれば文句を言いたくなるではないか。まして一三億人の中国である。い
い人も悪い奴もいるだろう。悪いところはあるだろうが、良い点もたくさんあるはずではないか。先ずはよく知ろう。

 歴史研究を進めるとき、国家と個人の問題は常に悩みの種である。古代中国にこんな歌がある。「普天の下 
王土に非ざるはなく 率土の浜 王臣に非ざるはなし」(あまねく空の下 土地はみな王のもの 地平の果てま
でも 民もまた王の臣)。ここでは王様と民衆は密接に結びつく。王様の動向は、直ちに民衆の生活に影響する。

 だが一方ではこんな歌もある。有名な「撃壌歌」である。「日出でて作り 日入りてやすむ 田を耕して食し 
井を鑿ちて飲む 帝力われに何かあらん」(太陽がのぼれば耕作し 太陽ががしずめば休む 田を耕してご飯を食べ
 井戸を掘って水を飲む 帝の権力?私には関係ないね)。民は腹をうって(鼓腹)土地を叩いて(撃壌)、楽しそう
に歌う。民には民の、王の支配とは無関係の日常がある。

 中国政府がこうだから、中国人すべてがこう、であるわけがない・・と書けば甘い甘い!と叱られるだろう。国際
政治の舞台では、否応なく国家が利益争奪の単位にならざるを得ない。人は属する国家の名を以て評価されるの
を免れない。そのうえ中国共産党は、古代の王様よりよほど怖ろしそうだ。

 日本人など比較にならぬ猛勉強をして名門大学に入り、都市戸籍を獲得した中国人留学生が笑って言った。「中
国人はフランス人に似てる。料理と革命が大好き」。大規模な衝突なしに農業問題が軟着陸することを祈りたい。

文藝春秋 2008年12月号